赤外分光法とは、分子振動による赤外光の吸収から物質を同定・定量する手法です。近赤外(800〜2,500nm)と中赤外(2.5〜25μm)の違い、指紋領域とは何かを整理し、点計測で足りるか面で見るイメージングが要るかを7軸で判定します。
赤外分光法とは、分子の振動に由来する赤外光の吸収を測り、物質の同定や定量を行う分析手法です。近赤外(NIR)は波数12,500〜4,000cm⁻¹(波長800〜2,500nm)、中赤外はFTIRの主戦場である波数4,000〜400cm⁻¹(波長2.5〜25μm)の帯域を指します(島津製作所「近赤外領域での測定と注意点」、日本分光「赤外分光法の原理」)。装置の優劣ではなく、その試料を「1点で測れば済むのか、面の分布として測る必要があるのか」が判定の本質です。分布を知る必要がないなら、点計測のFTIR・NIRで十分に足ります。
用語の整理:近赤外・中赤外・指紋領域はそれぞれ何を指すか
判定に入る前に、混同されやすい3つの言葉を切り分けておきます。いずれも「赤外光のどの帯域を見ているか」の違いです。
近赤外(NIR):波長800〜2,500nm
波数でいえば12,500〜4,000cm⁻¹の帯域です。ここで観測されるのは中赤外の基準振動そのものではなく、その倍音・結合音にあたる弱い吸収です。吸収が弱いことは欠点に見えますが、実務では試料を希釈せずそのまま測れる・水を含む試料でも測れるという大きな利点になります(島津製作所「近赤外領域での測定と注意点」)。穀物・飼料の成分分析や原料受入検査で長く使われてきたのはこのためです。
中赤外(MIR):波長2.5〜25μm
波数4,000〜400cm⁻¹。FTIRの主戦場で、分子の基準振動が直接観測される帯域です(日本分光「赤外分光法の原理」)。官能基に対応する吸収がはっきり出るため、何の官能基を持つ物質かを読み取れます。
指紋領域:中赤外のうち、おおむね1,500cm⁻¹以下
指紋領域とは、中赤外のうち約1,500〜400cm⁻¹の波数域を指す呼び名です。この領域には化合物に特有な吸収が数多く現れるため、指紋のように物質を一意に言い当てる手がかりになります。ただし出典も注記するとおり、それらの吸収が重なり合うため、ピークを1本ずつ読み解く形での定性はむしろ困難です(島津製作所「赤外スペクトル解析のポイント-基礎編-」)。実務ではスペクトル全体の形をライブラリと照合して同定します。
ここが本記事の分かれ目です。指紋領域は中赤外にしかありません。現場に導入しやすいハイパースペクトルイメージングは実質的に可視〜近赤外域が中心で、そこで得られるのは倍音・結合音由来のなだらかな吸収です。したがって「未知物質が何かを突き止める」用途は、面で測るイメージングでは代替できません。帯域ごとの得手不得手はSWIRの波長は900〜2500nm|VNIR・NIRの違いと選び方でも整理しています。
まず前提:多くの用途では点計測のFTIR・NIRで十分
赤外分光法が古い手法だということはありません。むしろ、成分同定・定量の実務における標準手法です。上で見たとおり、中赤外の指紋領域にはスペクトル全体をライブラリ照合すれば物質を一意に言い当てられるだけの情報が含まれています。未知物質が何なのかを突き止める用途では、中赤外のFTIRが最も頼れる選択肢です。
一方の近赤外は、吸収が弱いぶん前処理の手間が少なく、水を含む試料でも測れます。倍音・結合音をどう検量線に落とし込むかも含め、近赤外分光法の原理と非破壊測定の限界は別記事で詳しく整理しています。
つまり、「均質な試料を、代表点で1回測って、成分値を高精度に出す」用途なら、点計測の赤外分光法が最適解です。ここにイメージングを持ち込んでも、コストとデータ量が増えるだけで精度は上がりません。
点計測の赤外分光とイメージングを一覧で対比する
まず両者が何をする道具なのかを並べます。置き換えの関係ではなく、測っている対象そのものが違います。
観点 | 点計測の赤外分光(FTIR・NIR) | ハイパースペクトルイメージング |
|---|---|---|
主な波長帯 | 中赤外 2.5〜25μm(4,000〜400cm⁻¹)/近赤外 800〜2,500nm | 現場運用は可視〜近赤外が中心。機種により概ね400〜1,000nm、SWIR機で〜2,500nm |
測れるもの | 成分の同定・定量。指紋領域を使えば未知物質の材質特定まで届く | 成分・状態の相対的な差。指紋領域は使えない |
空間情報 | なし。測定スポットの代表値が1本出るだけ | あり。画素ごとにスペクトルを持つデータキューブが得られる |
1回あたりのデータ量 | スペクトル1本 | 画素数×バンド数。数十万〜数百万点規模のスペクトル |
速度と運用形態 | 1点ずつ測る。据置・抜き取り検査が基本 | 面で一度に撮る。搬送ラインを止めない全数検査に向く |
コスト感 | 装置・運用とも相対的に低い。既存装置の流用が効く | 装置が高価なうえ、解析環境と人材の継続コストがかかる |
精度の性格 | 検量線を作り込めば絶対値の定量精度が高い | 合否判定・傾向把握向き。絶対値の精度は点計測に劣ることがある |
向く用途 | 受入原料の同定、不具合品の材質特定、均質試料の定量、反応追跡 | 分布の可視化、ライン全数選別、見た目が同じものの判別、大型・遠方の対象 |
なお面で測る側にも段階があり、必要な情報が数バンドで足りるならより安価なマルチスペクトルで済みます。どの方式から検討すべきかは分光カメラの選び方(目的別4種類の判定チャート)もあわせてご覧ください。
判定チャート:7つの軸で切り分ける
以下の表で、自分の用途がどちら側に寄っているかを確認してください。右列(イメージングが要る条件)に3つ以上当てはまる場合のみ、面で測ることを検討する価値があります。
判定軸 | 点計測(FTIR・NIR)で足りる条件 | ハイパースペクトルイメージングが要る条件 |
|---|---|---|
①試料の均質性 | 粉体・溶液・成形品など、どこを測ってもほぼ同じ値になる | ムラ・偏析・局所的な異常がある。平均値では意味を失う |
②位置情報の要否 | 「何がどれだけ含まれるか」が分かればよい | 「どこに」あるかを特定したい(異物位置、欠陥位置、成分の分布) |
③サンプリングの可否 | 試料を切り出して持ち帰れる。破壊しても問題ない | その場・非接触・非破壊が必須。丸ごと・ライン上のまま測りたい |
④スループット | 1日数点〜数十点。抜き取り検査で運用が回る | ライン全数検査。1点ずつ測っていては物理的に間に合わない |
⑤定量精度の要求 | 小数点以下の精度が要る。検量線を作り込める標準試料がある | 合否判定・傾向把握で足りる。厳密な絶対値までは要らない |
⑥必要な波長帯 | 中赤外の指紋領域が要る(未知物質の構造同定・微量異物の材質特定) | 近赤外域の水・油分・糖・タンパクなどの吸収で判別できる |
⑦予算・運用体制 | 既存装置で回っている。解析専任者を置けない | 大容量データを扱える人材・環境を用意できる、または外部に頼める |
とくに⑥は誤解が多いところです。中赤外域のイメージング(赤外顕微鏡・FTIRイメージング)は技術としては存在しますが、装置価格・光学系・測定時間のハードルが高く、生産ラインに載せられる現実解にはなりにくいのが実情です。現場に導入しやすいハイパースペクトルイメージングは、実質的に可視〜近赤外域が中心だと考えてください。指紋領域が必要なら、答えは点計測のFTIRです。
点計測で十分なケース、面で測るべきケース
点計測のFTIR・NIRで十分な例
- 受入原料の同定:届いたペレットが仕様どおりの樹脂かを確認する。1点測ってスペクトル照合すれば済む。
- 不具合品の原因物質特定:付着物や変色部を切り出し、FTIRで指紋領域を見て材質を特定する。可視〜近赤外域のイメージングでは、ここまでの材質同定には届きにくい。
- 均質な液体・粉体の成分定量:検量線を作り込んだNIRで、水分・タンパク・油分を高精度に出す。
- 反応追跡:時間経過に伴う特定ピークの増減を追う。空間分布は関係がない。
ハイパースペクトルイメージングが必要になる例
- 成分の分布を見たい:たとえばメロンの糖度分布の可視化では、800〜1,000nmを5nm刻みで撮像し、910nm付近の吸収帯を使って各画素に検量線を適用し、糖度分布マップを作る研究が報告されています(蔦瑞樹ほか「ハイパースペクトルシステムによる近赤外分光イメージング手法」映像情報メディア学会誌 56(12), 2037-2040, 2002)。1点測定では、同じ果実の中の甘い部分と甘くない部分を区別できません。
- ライン上の全数選別:流れてくる製品を止めずに、混入物や不良を面で捉える。
- 見た目が同じで中身が違うものの判別:色では区別できない異物・異品種を、スペクトルの違いで面として分ける。
- 大きい対象・遠い対象:構造物や圃場のように、点で測って回るのが現実的でない対象。
面で分光する仕組みそのものについてはハイパースペクトルカメラとは何か(仕組みと原理)で解説しています。なお、必要な情報が数バンドで足りるならより安価なマルチスペクトルカメラ(必要バンド数の考え方)で済むこともあり、まずバンド数の要否から検討することをおすすめします。分光に限らない選択肢を並べたい場合は非破壊検査の代表手法と選び方もあわせてご覧ください。
正直に書く、イメージング側の弱点
乗り換えを検討する前に、面で測ることの不利な点を把握しておいてください。
- データ量が桁違いに大きい:画素ごとにスペクトルを持つため、1回の撮像で数十万点以上、対象や走査距離によっては数百万点規模のスペクトルになります。保存・転送・処理の設計が必要で、点計測のように「測って終わり」にはなりません。
- 解析人材が要る:得られるのは見て分かる画像ではなく、波長方向に積み上がったデータキューブです。前処理・次元圧縮・判別モデルの構築を担える人か、外部パートナーが必要になります。
- 中赤外域は装置コストが高い:前述のとおり、現場運用の現実解は近赤外域です。指紋領域の情報は諦めることになります。
- 定量精度で点計測に劣ることがある:検量線を作り込んだ据置型のNIRと比べると、絶対値の精度は落ちる場合があります。分布が分かる代わりに、1点あたりの確からしさを譲る取引だと考えてください。
- 照明と角度の影響を受ける:試料室で条件が固定される点計測と違い、照明ムラ・表面の凹凸・撮像角度がスペクトルに乗ります。実運用では照明設計が精度を左右します。
私たちは国産ハイパースペクトルカメラ irodori を開発していますが、上の条件に当てはまらないのであれば、既存のFTIR・NIRを使い続けるほうが合理的だと考えています。もし「分布を見ないと判断できない」場面にお困りでしたら、国産ハイパースペクトルカメラ irodori の仕様をご覧ください。
乗り換えを決めたら、いきなり買わない
ハイパースペクトルカメラは決して安い装置ではありません。判定チャートで右側に寄ったとしても、次の順序で確かめてから購入を検討してください。
- 目的を1文にする:「何を、どの精度で、どれだけの速度で判別したいか」を書き出します。ここが曖昧なまま装置を買うと、使われない設備になります。
- 受託測定で実データを取る:実際の試料を送り、そもそもスペクトルに差が出るのかを確認します。差が出なければ、そこで検討は終わりです。手順は分光の受託測定を依頼する手順にまとめています。
- 判別モデルを試作する:取得したデータで、要求精度に届くかを検証します。近赤外域で足りるのか、追加のバンドが要るのかもここで見えます。
- デモ機で現場条件を確かめる:照明・搬送速度・振動といった現場固有の条件は、実機を持ち込まないと分かりません。
- 導入判断:ここまでで費用対効果が説明できて、初めて購入の話になります。
糖度のように、既にNIRの点計測で実績がある指標については果物の糖度を非破壊で測る手法(NIRの実例)もご参照ください。分布が要らないなら、そちらのほうが早く安く済みます。
まとめ
赤外分光法とハイパースペクトルイメージングは、置き換えの関係ではなく役割分担の関係です。何が含まれるかを正確に知りたいなら点計測、どこにあるかを知りたいなら面で測る。この一線で判断すれば、大きく外すことはありません。
私たちは食品・農業・インフラ・医療などの現場とともに実証を重ねてきました(実績一覧)。「点計測で足りるのか分からない」という段階のご相談でも構いません。無理に導入をすすめることはしませんので、判断の材料としてお使いいただければと思います。




